みんな表面的なことばっかり!

誰かが設計した「理想の幸せ」に感情を揺さぶられ、
洪水のように流れてくる情報に、
怒りが湧いたり、心がえぐられたり。
目の前で起きていることを、味わうこともせず、
ただ、通り過ぎていく毎日。

その出来事の「背景」や「意味」ではなく、
“結果”だけを見て、落ち込んだり、大喜びしたり。

あるいは・・・

「こう見られたい」という意識ばかりにとらわれ、
気づけば、
自分が本当にやりたいことすら、見えなくなっている。

そんな人たちが、いまの日本にはあふれています。

SNSで目立つ、キラキラと成功して見える
誰かの発信に触れるたび、
自分なんて本当につまらない人生。
なんてダメなんだ・・・と

不満が湧いてくる。

でも、本当は、あなたもわかってるはず。
その輝きの裏には、
努力と選択の積み重ねがあること。

結果の向こうに、
どれだけの過程があったのか

ただそこにある「事実」だけでなく、
その事実を育んだ「過程」を、
横や裏から、もっと立体的に見ることができたら

人生は
もっと鮮やかで、美しく、愛おしい
存在になっていきます。

それが、私が提唱する
「奥行きのある人生」です。

奥行きのある人生とは

表面的な視点では、見えないことがあります。
もっと裏側を、もっと深い部分に踏み込んだときに
得られる、輝きがあります。

物事を「立体」でとらえられるようになったとき、
人生はまったく違った景色を見せてくれるようになるのです。

石鹸アートの本質

その“立体視点”を手に入れるひとつの方法が
 石鹸にナイフを入れる行為

私がお伝えしている「石鹸アート」です。

まだ何も刻まれていない、真っ白な石鹸に、
ナイフの先を当てる。
それはまるで、自分の人生に問いかけるような瞬間です。

「この方向でいいのかな?」
「この一歩が、全部を壊すかもしれない……」

そんな不安や迷いを抱えながらも、勇気を出して彫り進める。

時には石鹸がバラバラに崩れてしまうこともあるし、
自信のなさがナイフに伝わり、
作品に“甘さ”が表れてしまうこともある。

そのときの心の状態が、すべて石鹸に映し出される。

だからこそ

ダイナミックに、潔く、ナイフを入れた先には、
まだ見たことのない、自分だけの“美”が表現されるのです。

この繊細で奥深い行為が、
私が伝えている「石鹸アート」なんです。

単なる彫刻ではない。

それは、人生と感情と向き合いながら、
“自分を彫る”という体験なのです。

SNSの表面的な情報

気付けば・・・

このハンドメイドやアート業界も、
16年前、私がカービング教室を
スタートさせた頃とは
全く違う景色になりました。

SNSで見えてくる、表面的な情報に、やきもき、モヤモヤ。

月100万円の売上です。
いつも満席です。
旅行に毎月行ける人生が楽しいです。

そういう情報に、いつしか自分の心も汚染され・・・

「ああ、これが 私が求める幸せなんだ!」と妙に納得し、
気付かぬ間に、表面的な断片情報にリアリティを感じ、
私も、月100万円稼がなきゃ!と躍起になり、

本当にやりたかったことが、
見えなくなった時期がありました。

秘密にしてきた私の黒歴史

駐在当時に見学したカービングコンテストの作品

私は、元夫の駐在で
タイのバンコクに5年弱、住みました。

これまで、なにも続かなかった私が、
駐在中、唯一続けられて、
時間を長く費やしたのがカービングでした。
週に3回、タイ人の先生から習うときもありました。

日本に帰国してすぐは、
まだそれほどカービングの先生はいなかったので、
だいたい日本のどこに、
どの先生がいらっしゃるかわかるぐらい。
当然、なにもしなくても生徒は集まります。

当たり前のように、
技術やノウハウをお伝えしてきました。

そこには「生徒にどうなってほしい!」
という自分の想いはあまりなく、
生徒から「やりたい!」と
言われたことに
ただただ答えるだけの教室になっていました。

「この人は本当は、どんな人生を歩みたいのか」
「この人の人生にどんなふうに関われるのだろうか」
を考えるのではなく、
ただ、表面上の「楽しんでほしい」
だけを実行してしていたのです。

当時は、カービングの珍しさから、
生徒が絶えなかったのに、
教室がどんどん増えるにつれて、
珍しくなくなり、
当然、生徒も減っていき・・・

教室存続の危機に陥ります。

それでもなお、
カービングの奥深さを伝えること、
本当のカービングの良さを
極めることから逃げて、

見た目の珍しさや、
新しい集客方法、
効果的なビジネスのやり方を求めて、
さまようようになりました。  

表面的な教室運営

とにかく売り上げを伸ばさなきゃ!
売上がない教室は価値がない、
とすら思うようになり、
カービングの美しさや楽しさは二の次で、
売上アップを求め出すようになります。 

次々にいろんなコンサルタントに師事 します。
すぐに結果を求め、結果が出なかったら、
やり方がちがうのかも、と
他の方法が気になり、
またすぐにコンサルを変える。
土台ができないまま、表面上の方法論にとびつく。

今なら、
そんなことで教室運営が
うまくいくわけはないとわかるのに、

当時の私は、
方法を学び形を整えれば
うまくいくと思っていました。

広告違反とアカウントBAN(垢バン)

そして
広告について詳しく学べるコンサルに師事したときのことです。

・・・とうとう・・・

その在り方に警告を鳴らす事象が一気に起こったのです。

もともと、私は、
「彫る技術」を教える講座を作っていました。

でも、コンサルタントは、私にこう言います。

「カービングそのものには、価値がないですねえ。
カービングをすることで稼げる!
ってことを前面に打ち出さないと、
今の時代は売れませんよ」

一瞬、え??カービングに価値がない?
そんな訳ない!
という気持ちが出てきました。


でも・・・この先生は一流なんだ。
この先生の言う事を聞いていれば、
きっと、生徒たちが戻ってきてくれるだろう。

一瞬沸いた、自分の気持ちは見ないふりをして、
その先生の言うとおりに、
「カービングをやれば稼げます!」
という紹介ページをつくりあげました。

言われたように広告を出すと、
あっという間に警告メッセージ がでて、
数分で真っ赤な帯が現れます。

【この広告はメタ社の広告ポリシーに違反している】との文字が!!

あせってコンサルに連絡すると
「異議申し立てをしてください」と言われます。
いわれるがままに、手続きをします。

なにをどう操作すればいいのかわからない上に、
こんなメッセージがでるとも思っていなくて、
ただただ慌てるばかり。
心臓の鼓動が耳の横で聞こえます。

それから半年、ようやく、広告会社からメールがきました。
「やった!広告のアカウントが使える!」
と思いきや

「審査の結果、広告ポリシーに違反しているので
このアカウントは停止です」との内容。


ここまでくるのに見直すポイントは何回かありました。

そもそも、
その広告の内容は、
私が心から感じていること、伝えたい想いではなかった。
ただ、見本で渡されたテンプレートに当てはめただけで、
いいと全く思ってなかったんです。

でも、コンサルフィーに高いお金を出しているし、
この先生は プロなのだから、
自分は間違ってないと思い込ませて、
強引に事を進めていました。

自分の心に嘘をついて、
表面的に文字と画像を並べただけの広告。

それについての警告メッセージ。

こんな状況 でもなお、
私は人を貶めるような広告を
出したいわけではないんだから、
題ないだろうと軽く考えています。

まあ、広告が出来ないのなら、
インスタを頑張っていくか―、
くらいに、
安易に考えていた私。

メールがきてから数日たち、
いつも通りにリールを作り
インスタグラムに投稿しようとすると、

何回やっても。。 エラーになります。。。。。

今度は、、、、
インスタグラムまで使えなくなる。


もしかすると、、、

これはいわゆる「垢BAN」

アカウントが使えなくなる事を「垢BAN」といわれ、
無料で使えるあらゆるシステムに、起きることです。
インスタやライン、ペイパルなど、、、
話には、聞いていました。

でもそれは他人事でした。

その時まで。


何年もかけて育ててきた
インスタグラムのアカウントが凍結される。
投稿を楽しみにしてくださる人もいるのに、、

広告がうまくいかなかったので放っておいて、
とりあえずインスタと、
安易に考えて投稿を頑張り出すと、

今度は、インスタグラムまで使えなくなる。。。


【強制終了】

でした。

自分の行動を見直すきっかけ

私の仕事に対する意識。
どうにかなるだろうという甘さ。
新しい事に次々に手を出すのですが、
中身は変わっていません。

「自分の行動がすべてを引き起こしている」
ということに行きつくのに、
時間はかかりませんでした。

素直に言われたことをただ行う。
自分で考えていない行動でした。

この垢バンで、
これからやろうとしていることが、
全てできなくなるかもしれないと、
そこだけが残念でならないのと、

今後どうやって
カービングの認知を進めればいいのかと、
真っ暗になりました。

強制的に

「根本的にやり方を見直せ、気が付け!」と
言われたのです。

言葉の二面性  

コンサルに言われるとおりにやってみる。
これはある意味、素直だからすぐにできます。

自分がどうして、
カービングを、石けんアートを広めたいのか
という中身に向き合わず、


新しい事に飛びつき、
表面的に、売り上げを上げるとか、
月収100万円にする、
そのためには広告をださないと、
なんて、どんどん目移りする。

子供の時から素直といわれ、
通信簿にも書かれるほど。

ですが、ものごとには、二面性が必ずあります。
もちろん、「素直」という言葉にも、
良い面と悪い面があります。

良い面は 柔軟性がある、協調性が高い、コミュニケーションが円滑 など
悪い面は 周囲に依存しやすい、意見を持たないと思われる、騙されやすい など

私が言われる「素直」って、
ひとつの軸がなくて、
その都度、表面上の情報だけで
受け取っているから起こること。

垢バンがあったことで

自分が幼い時から言われている
「素直」という事、そして、
なんでカービング教室を始めたのか
という事から向き合う事にしました。

立体的に彫るから見える世界

ここで少し、
私がカービングを学び始めた時の話をさせてください。

実は、、、

タイでカービングを習い始めたとき、
少しも面白いと思えなかったんです。

タイでの
はじめてのレッスンは、
人参の稲穂を3時間かけて2種類彫る課題でした。
握りしめるから、
人参はへにゃへにゃだし、
肩はこりこりだし、
「なんでこんなことを始めちゃったんだろう」と。

駐在の奥さんたちは仕事ができないビザなので、
時間がたっぷりあります。
初めのうちは時間つぶしに近い習い事でした。

初めて楽しいと感じるようになったのは、
ソープカービングアレンジのレッスンからでした。

タイで私が通っていた教室では、
アレンジレッスンは、ある程度彫れるようになってから、
やっと許可が出るというものでした。

オーナーが教えるので
彫り方のレッスンはなし。
アレンジだけです。

それも
たくさん石鹸を使ってお花を彫らないと
アレンジできないので、
制作に時間もかかるし、
宿題はいつも山のよう。

お題が決まっているだけで、
彫る物もアレンジも材料も
すべて自分で考えて作る。


立体アレンジは、
まず、彫る前に、何を彫るのか、をしっかり決めないと、
行き当たりばったりで彫ることはできません。

次に、彫る対象の観察です。
見本となる「現実世界」のものを、
石鹸に落とし込んでいくのですが、

対象を色んな角度から眺めるんです。

表から見ているだけでは気付かないことも見つかり、
じゃあ、ここをカービングでどう表現しようか?
など考える時間は、
今、その瞬間に集中できる、
頭が研ぎ澄まされる時間でした。

石鹸の上だけに彫るのではなく、
切り離すことで
【立体的に考える】
思考に変わるのです。

彫ったお花の、
横や後ろ側も気をつかいます。
どこから見てもごみが無いように、
きれいに彫ります。

ナイフの使い方一つで
ゴミのない、美しいお花を
完成させる方法も追及します。

これが、私にとっての、石鹸アートの原点です。

自分の心を立体的に見る

強制終了は、私に大きなきっかけをくれたのです。

過去、なぜ石鹸を彫り始めたのか、
自分の本当の心と向き合うきっかけです。

私が自分と向き合い
過去を振り返って

教室をなぜ始めたのかを考えると
あ、こんなこともあったなと、、、
多方面から考えることで
ようやく答えにたどり着きました。

そんな私がほんとうにやりたいと思ったこと、
人に伝えたいと思ったことは、
人の影響を受けて、
素直に自分の軸をずらすことではなく、

自分で考え、
自分で組み立て、
自分だけの作品をつくること
自分の世界観をつくること
でした。

「自分にしかない感性」を信じて、
それを形にするのに挑戦することが
満足感、達成感に
つながっていたんです。

立体作品を通じて自分の本当の喜びを知る

立体的に物事をとらえ
自分で作ろうと決めるから、
他教室にはないオリジナルの作品がたくさん作れました。

代表的なオリジナル作品は、
「シクラメン」の立体作品です。

だれも彫っていないお花だったのです。

タイカービングコンテストで
ブース出展した時に
高さ70㎝にもなる
大型のシクラメンの作品を
持っていきました。

だれもがはじめて見る、
珍しい、石鹸のシクラメンの花。


通常のカービングでしたら
一番大きい作品はスイカです。

石鹸アートはすいかよりも
ずっと大きな見栄えのする作品に
することもできるのです。

会場でも目を引き
タイレストランの関係者から
私のお店に展示してくれませんかと
オファーをくださいました。

また、その会場で
作品を見て感動してくれた方は、
6年以上経った今でも
私の講座をオンラインで受けてくれています。

すぐに成果が見えなくても、
自分の軸をもって作品をつくっていれば
見た人が感動するような
作品につながります。

コンサルについて
売上を目標としていた数年間は
立体の新作を1作品も作れませんでした。

ところが、心を彫ったことで
自分が本当にやりたかったことが分かり
新しい作品作りへの意欲が、
次々に湧いています。

ただただ、
石鹸アートの美しさ、奥深さ、
作品作りの面白さを伝える。

そんな単純で、
でも本質的なことに、
たくさん、たくさん遠回りして、
やっと気づくことができたのです

石鹸アートと人生のつながり

石鹸アートは、
同じ課題でも、
彫る人によって全く違う
作品になります。

正解はありません。
人生と同じです。

作品が完成した時、
自分だけでなく、
人に美しいと感じてもらいたいのは当然。
美しさを追求するアートなのです。

あなたにとっての
「美しい作品」ってどんな作品ですか?
私は「土台・中身が詰まった作品」
だと考えています。

石鹸アートって、
見た目の美しさを作るものだと
よく勘違いされるのですが、
本来は、そうではありません。

例えば、薔薇の花びらを彫るとき、
綺麗にみせるには薄さが大事。

でも
全部薄くしてしまうとすぐに折れて
花びらにならない。
根元は厚く、花びらの先を薄く、繊細に
仕上げることで
しっかりした土台で、
薄くて美しい花びらになります 。

私は単に、
「こう彫れば、石鹸アートが美しくなります」
という次元の話をしたいわけではありません。

レッスンでいつもお伝えしていたことの
大事さを身をもって体感しました。

様々な角度から作品を観察し、
彫っていくこと。
美しい立体を作るための
「土台」にちゃんと中身を詰めること。

私にとっての中身とは「自分で決める」でした。
素直という言葉の裏側で、
人に決定をゆだねる人生は
自分の本意ではなかった。

石鹸アート作品は、
出来上がったら満足するだけではもったいない。
気が付かないうちに、
その人の個性、癖、中身が出ているのです。

だから、
みんな違う
そのひとだけの素敵な作品が出来上がるんです。

石鹸アートの可能性

そして、ここからは、
ちょっとおまけのその後談・・・。

私が経験した、強制終了によって、
自分に向き合った話を
してきましたが・・・

とても不思議な話なんですが・・・

自分の心と向き合い、
考え方が変わった瞬間に、
インスタグラムのアカウントが復活したのです!

その上・・・

そのあとすぐに、
広告アカウントも別な方法で
使えることがわかりました。

びっくりですよね。

そういえば

自分に向き合う事、
自分の心を彫るという事を
今まで一度もしてきませんでした。

現在の私の年齢は63歳。(2025年現在)
還暦を過ぎて、そんな歳になっても、
まだこんなこと言っているの?
って、思う方もたくさんいるかもしれません。

でも、自分のことを深く知ることって、
きっかけがないとなかなかできません。

生きているうちに
自分と向き合い、
自分の内面を彫る事ができて
良かったと思っています。

心を彫ったから
自分で自分の心の癖を知りました。

さらに深く彫ることで
自分の心の奥底に眠っている
本当にやりたい事がわかりました。

今までやってきた、
石鹸アートの良さ、
それから、
作品に自分の癖や感性がすべて現れていることも
再認識できました。


もしあなたが

まだ自分に向き合ったことがない、
自分の人生を見直したいと思っている、
単純にハンドメイド好き、
新しいことをやってみたい、
暇をもてあましてなにをすればいいかわからない、
逆に、忙しすぎて心の余裕がない、

と思う事がある様でしたら、

一度石鹸を彫ってみると
いいかもしれません。

なぜなら、
石鹸アートは、
始めるのにハードルが低いから。

思い立ったらすぐにできる。
道具も少ない。
材料も手に入りやすい。
広い場所も必要ない。

その上、
私のように、
自分の心も彫れて、
人生の指針になるものがみつかります。

今が一番若い

長年、教室運営をしてきたことで、
たくさんの方に教室に
きていただきました。

私の力不足で、
上手にならない方や
楽しみを感じられなくて、
私のところから離れた方も
いらっしゃいます。

その方たちには、
石鹸アートは
深く自分を知るチャンス・手段であることを
お伝えできず申し訳ないと思っています。

よく言われる話ではありますが、
今が一番若いのです。

この言葉は誰でも、何歳でも同じ。

石鹸アートをやってみたいと思う方には、
できるだけお力になりたいと思っています。

単なる趣味ではないからです。

石鹸を彫る事を通して
立体的に物事を見られるようになり、
作品に自分の感性が表れ、世界観が表れる。

そんなアートを
石鹸1個で表現できるんです。

さいごに

私は、まだ
教室を10年以上続ける予定です。
でも、明日
手が動かなくなるかもしれません。
世の中からいなくなるかもしれません。
先の事はわかりません。

でも、生きている限り、作品をつくれる限り、
人の心が動くような作品をつくりたいと思っています。
まだまだゴールは遠いです。

中身の詰まった人生を過ごす人が増えれば、
まわりの人達も影響されるでしょう。

立体的に物事をとらえることができると
起きた事象から自分の考え方、思考の癖を
理解しやすくなります。

自分を見つめ直し、
未来は、薄いペラペラなものではなく、
立体的で、奥行きがある。

作品に
自分の癖・想い・感性がすべて表れる。

まさに“心の内側が立体になる”

そんな、奥行きのある人生を創れる「石鹸アート」。


一緒に楽しみましょう。